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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)4666号 判決

原告 中田秀男

右訴訟代理人弁護士 加島宏

被告 広島県

右代表者知事 竹下虎之助

右訴訟代理人弁護士 幸野國夫

右指定代理人 上野則夫

〈ほか八名〉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金五四九六万九二〇八円及び内金二一七八万〇七五〇円について昭和六〇年三月三〇日から、内金二五〇〇万円について同六一年一月一三日から、内金五八八万六〇〇〇円について同年三月二七日から、内金二三〇万二四五八円について同年五月七日から各支払済みに至るまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要(一項ないし三項の事実のうち、証拠を援用した部分(「パンフレット等」は除く)以外は、当事者間に争いがない事実である。)

一  土地譲渡契約の成立

原告と被告との間で、昭和六〇年三月三〇日付けで広島県三次市の三次工業団地内に所在する別紙物件目録記載(一)の工業用地(以下「本件土地」という。)を代金四三五八万〇七五〇円で譲渡する契約(以下「本件契約」という。)が成立し、被告は原告に対して、同年五月四日その引渡をした(引渡日につき乙三)。

二  税の減免に関する経緯

1  被告は、原告に対し、本件契約に先立ち、三次地区工業団地を含む広島県内の工業団地に関する「工業立地のご案内」と題するパンフレット及び「工業団地条件表」と題する書面(以下併せて「パンフレット等」という。)を交付し、説明に当たった被告の職員も右パンフレット等の記載に沿って本件土地の説明をしたが、これらの書面中三次地区工業団地に関する部分には「税の減免」の項があり、「(1)買替資産の特例 圧縮記帳が認められる。(2)減価償却の特例 圧縮記帳が認められる。(3)不動産取得税 非課税 (4)事業税 3年間免除(5)固定資産税 3年間免除 (6)特別土地保有税 非課税」との記載があった。

2  原告は、右記載により、右記載の不動産取得税、固定資産税等については非課税又は免除として当然に支払いを要しないものと信じ、この税の優遇措置の存在が本件土地を購入する動機となって、本件契約を締結した。

3  しかし、実際には、右各記載のうち、(3)の不動産取得税の非課税は免除の誤記であり、免除の場合は、非課税の場合と異なり一旦納付をした上で、操業開始等の条件を満たした場合に免除申告手続を経て還付されるものであった。

また、(3)の不動産取得税及び(5)の固定資産税の各免除について、免除されるのは課税額の全額ではなく、本件においては、課税額合計二九二万一三二〇円のうち、推計二一〇万七三六〇円であり、残額推計八一万三九六〇円は免除の対象とならないものであった。

三  原告の支出

1  原告は被告に対し、本件契約に基づき、昭和六〇年三月二九日に即納代金二一七八万〇七五〇円を、昭和六一年三月二七日に第一回延納代金及び延納利息合計五八八万六〇〇〇円を支払った。

2  原告は、昭和六〇年六月二〇日、本件土地の所有権移転登記を受け、その費用として五〇万〇八〇〇円を支払った。

3  原告は、本件土地上に別紙物件目録記載(二)の建物(以下「本件工場」という。)を建築し、その建築請負代金として、昭和六一年一月一三日までに訴外株式会社中岡工務店に対し、合計二五〇〇万円を支払った。

4  原告は、本件工場に設置する予定の機械設備の準備のため、昭和六一年五月七日までに材料購入費として合計一八〇万一六五八円を支払った。

四  争点

原告は、本件契約について、税の優遇措置についての要素の錯誤及び被告の誠実性についての要素の錯誤による無効を主張し、また、被告は税の優遇措置について原告を詐欺により誤信させたのであるから取消すとの主張をして、前記三1の支出分については、不当利得の返還請求をし、また、前記三2、3、4支出部分については、被告の不法行為による損害としてその賠償請求をするのに対し、被告は右各要素の錯誤及び詐欺の主張をすべて争う。

第三争点についての判断

一  税の減免措置に関する錯誤無効について

1  本件契約の動機とその錯誤について

原告が三次工業団地内の本件土地を選択購入するに当たりパンフレット等記載の税の減免措置の存在を信じたことがその動機・縁由の一つとなっていることは前述のとおりであるが、それが要素の錯誤として本件契約の無効原因となるには、その動機が相手方に表示されて本件契約の内容となり、もし錯誤がなかったならば表意者である原告が本件契約をしなかったであろうと認められる場合であることを要する(最二小判昭和二九年一一月二六日民集八巻一一号二〇八七頁参照)。

2  税の免除は契約の内容となるうるか

被告は、納税義務の免除は、すべて法律又は条例の根拠に基づかねばならず、行政庁と納税者間の契約によって免除することはできないから、納税義務の免除は契約の内容となりえないと主張するので検討するに、課税処分が被告主張のとおり契約自由の原則になじまないとしても、それは被告が契約により課税処分の変更、とりわけ免除措置を講ずることができないことの根拠となりうるに止まり、免除措置のある土地が契約の内容となりうるかという問題とは別個の問題というべきであるから、その意味では税の免除の有無も契約の内容となりうるものと解すべきである。

3  税の免除に係る動機が本件契約の内容となったか

(一) 当事者の主張

(1) 原告は、本件土地購入の動機である税の減免措置は被告作成のパンフレット等に売買条項の一つとして明記されていること、また、被告の職員は、企業誘致に際し被告ないし三次市が地方税の減免措置をするという一般の土地売買にはない有利な条件を重要なセールスポイントとして強調したこと、被告は原告が税の減免措置を重視期待して本件土地を購入したことを十分に承知していたことなどに鑑み、原告と被告間には税の減免措置が本件契約の重要な動機となっていることを認識了解済みであり、これが本件契約の内容をなしていることは明らかであると主張する。

(2) これに対し、被告は、本件契約書には税法上の優遇措置に関する条項はないこと、右契約書作成に関し原告から税の減免について契約書への記載を求められたことがないことなどから税の減免については契約内容となっていないと主張し、また、パンフレット等においては、税の免除の対象物件の範囲、免除の要件、免除申告手続等を詳細に記載することは実際的でないので、多くの他府県における先例にならい、趣旨を簡潔に記載したものである。また、被告の職員は、現地視察の際に不動産取得税の免除等について正確な説明をし、更に原告に対しても度々詳しい説明をして課税免除申告手続をするよう話したのであるから、原告は不動産取得税や固定資産税の免除申告手続について十分に理解していたはずであり、原告が税の免除の点を重視したのであれば、被告の職員らに納得のいくまで質問すべきであり、原告が無条件に免除されると信じたとしても、原告の一方的な誤信によるもので被告の過失によるものでないから、パンフレット等の税に関する記載が契約の内容となるものではないと主張する。

(3) 被告の右主張に対し、原告は、本件契約書が被告から原告に送付されたのは契約締結日以降の昭和六〇年五月一日ころであるから、原告が税の免除について本件契約書への記載を求める余地はなく、また、本件契約内容の概要はパンフレット等の記載と被告の職員のそれに沿う説明によって合意されたものであり、更に原告は税務の素人であるに反し被告は公共団体であることから、原告が右記載及び説明をそのまま信頼したとしても何ら非難されるべき筋合いではない。そして、パンフレット等の記載は本件土地の属性に係るものとして本件契約の内容をなすものであると主張し、また、被告の職員は、原告に税について正確な説明をしたことはなく、原告に誤解があったとすれば、それは被告側の落度により惹起されたものであると主張する。

(二) 一般的判断

(1) 本件契約の交渉過程については、《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。即ち、被告大阪事務所次長である右有馬らは、昭和五九年九月ころ、被告作成の「工業立地のご案内」と題するパンフレットを原告方に持参して以降、原告ないし中田喜美子に対し、原告方又は被告大阪事務所において数回本件契約についての説明をしており、その際、原告らから特に税の減免についての質問は出ず、また、右有馬らからも税の減免の内容・手続等についての特段の説明はされなかった。なお、右有馬らにおいて、税の減免措置を重要なセールスポイントとして強調したか否かについては、原告本人の供述、証人中田喜美子の証言と同有馬弘明、同藤阪文俊の各証言で食い違うが、右パンフレット及び工業団地条件表を交付してその記載に沿って説明したことについては、右供述又は各証言においても一致しているので、税の減免について、少なくともパンフレット等の記載と同旨の説明があったことは明らかである。その後、同年一〇月の現地見学会を経て、原告らが本件土地の購入を希望し、右有馬らの指示により、原告らが譲受申請書を作成して同六〇年三月初旬に被告に送付し、右申請書について若干の訂正がなされた後、同月三〇日付けの本件契約書が作成されたものであるが、本件契約書の作成に際しても、税の減免については、双方とも特段の質疑・説明はされていない。

(2) そこで、被告は、本件契約書には税の減免についての定めのないことから、本件動機は法律行為の内容ではないと主張するので検討すると、右(1)のとおり、本件契約の交渉はパンフレット等に基づき行われ、契約書は双方合意に達してから最終段階で作成されたこと、パンフレット等には税の減免について記載し、被告の職員もパンフレット等の記載に従って説明していること、事業者にとって課税上の優遇措置は一般に重要な関心事であること、契約書作成の段階では、原告と被告間で税についての特段の質疑・説明や合意は存しないことなどに鑑み、原告においては、パンフレット等に記載された減免措置が当然になされることを前提として本件契約をし、かつ、被告においても税の優遇措置を企業進出に際しての重要なセールスポイントの一つとしてPRする意図の下に右パンフレット等を作成しそれに基づき交渉してきたことから、被告は本件契約に際し原告がパンフレット等記載の税の優遇措置が受けられることを認識して本件土地購入の申込みをしたことを当然に知り又は知りうべきであって、本件契約上も右税の優遇措置が明示的に又は少なくとも黙示的には表示されていたものといわざるをえない。

(3) 原告が、減免措置について特に質問をしなかったこと及び契約書への記載を求めなかったとしても、右事実の下においては右判断の妨げとなるものではない。

(三) 表示内容

原告が税の優遇措置の内容について誤解した点は、前述のとおり、税の免除額が課税額の全額ではなかったこと、税の免除の場合も一旦全額納付する必要があること、税の免除が条件付きであること、税の免除申告手続が必要であることの四点(いずれも当事者間に争いがない)であるから、それぞれについて、契約内容として表示されたとみるべきか否か、順次検討する。

(1) 税の免除が課税額の全額ではなくその一部についてであることについては、パンフレット等には税の免除(不動産取得税についての記載は非課税)が一部についてなされることの表示がなく、その点について被告の職員の正確な口頭説明もなされていない以上、特段の事情の認められない本件においては、税の免除(若くは非課税)は課税額の全額についてなされるものと解されるのが通常であり、従って、税の免除が課税額の全額についてなされることについて表示があったと解される。

(2) 税が免除されるとしても一旦全額納付する必要があること、税の免除申告手続が必要であることについては、不動産取得税においては、パンフレット等で単に非課税と表示されているので、いずれも不要であることの表示があったと解される。この点につき、被告は、現地視察の際に不動産取得税の免除等に関し正確な説明をした旨主張するが、《証拠省略》に照らし、原告が了解しうる程度に明確な説明がなされたとは認められない。

他方、固定資産税については、パンフレット等には3年間免除と表示されているところ、免除という言葉からは、一旦納付を要するか否か及び何らかの申告手続を要するか否かは、社会通念上一義的に解されず、また、被告の職員の口頭説明においても、その点については明確な説明があったとは認められない。従って、被告が原告に対し右誤解のないように明確な説明をすべきであり、被告がこれを怠った点については被告の不手際といわざるをえないが、原告が何らの手続を要さずに免除されその支払を要しないと信じたとしても、被告においてそれを当然知りうべきであったとまではいえないので、右の点を本件契約の内容とする表示があったとは解されない。

(3) 税の免除が条件付きであることについては、通常は特段の留保・条件がなければ無条件と解すべきであるが、本件では、その条件の内容が操業の開始等であるところ、一定期間内に操業を開始することは、買主が守るべき条件として交渉過程でも説明があり、譲受申請書や契約書にもその旨記載され、また、税の優遇措置が企業誘致の特典としてなされるものである以上当然のことであるから、税の免除にも右の条件を要するとしても原告にとって予想外の不利益とはいえず、従って、原告が右のような条件を要しないと信ずることについて、被告がそれを当然知りうべきであったとはいえないから、税の免除が無条件であることの表示があったとは解されない。

(4) 以上から、前記錯誤四点のうち、明示的又は黙示的に表示され、本件契約内容となったと解されるものは、税の免除が課税額の全額についてなされること、不動産取得税については一旦納付及び免除申告の各手続がいずれも不要であることの二点である。

4  要素の錯誤と言えるか

(一) 当事者の主張

(1) 原告は、原告が本件契約を締結したのは、契約に先立ち、被告の他、兵庫、滋賀、岐阜、三重の四県にもパンフレットを送ってもらって検討し、滋賀、岐阜の候補地を実際に見分したところ、滋賀、岐阜のパンフレットには税の優遇措置の記載がなかったために、本件土地は、滋賀、岐阜の候補地に比較して、これまでの営業の本拠である大阪から遠方であるという難点はあるが、税の優遇措置というそれまでに考えたことのない利点があり、土地取得後の建設費等の諸経費も考慮して税の減免のある本件土地を選択したものであり、税の優遇措置についての錯誤は契約の要素の錯誤であると主張する。

(2) これに対し被告は、錯誤無効といえるためには、右税金が免除されれば他の諸条件が如何にあれ購入申込をし、免除されないのであれば他の諸条件が如何にあれ購入申込をしないという、右税金のみが購入申込の決定的要因であることが必要であると主張し、また、原告にパンフレット等を手交し、一応の説明をした際も税の優遇措置についての質問は一切なかったこと、原告は、減免される不動産取得税、固定資産税についての概略の計算もしていないこと、原告は本件契約当時、契約にともなう支出として、工業用地譲受申請書記載のとおり土地代金四三五八万円、工場等建築費二〇〇〇万円、機械購入設備費一五〇万円、雑費七〇万円の合計六五七八万円を投資する予定であったこと、反面、原告が課税免除申告手続をした場合の課税額は四年間で約八一万円であり、投資予定額の一・二パーセントであること等から考えて、原告が本件契約を締結したのは、分譲価格の低廉、代金五年間の分割払いの利点、上下水道、工業用水、電気工事等の付帯工事が整備されている利便等の売買条件、立地条件のほか、操業後の受注見通し、資金計画等の企業経営上の諸条件を総合勘案した結果であり、右税金の免除の動機性は原告の諸動機の全体からみて極めて小さなものであると主張する。

また、被告は、原告が本件土地において企業採算がとれる見込みがあるのであれば、昭和六一年三月までに即納代金、第一回延納代金及び延納利息等合計約二八一六万円以上の投資をした後に、当初予期していなかった税金推定約八一万円を納付することになったからといって、それだけの理由で操業開始を断念することは通常の合理的経営理念や社会通念からはとうてい考えられないこと、分譲地を購入した他の企業等との間には本件のような地方税の課税問題をめぐる紛争が生じた事例はないことから、原告が操業を断念したのは、税の減免についての錯誤によるものではなく、主として、業界の不況等により原告の企業採算の見通しが困難になったという内部的要因に起因するものであると主張する。

(3) 被告の右主張に対し、原告は、原告の事業自体は上向きであり、原告が進出を断念したのは、税の優遇措置の錯誤のうえに、本件交渉過程で露見した被告の不誠実な態度を見て、これから広島県民として生活し事業を営んでいく上で、とうてい信頼関係が維持できないと判断したからであると主張する。

(二) 要素性の有無についての判断

(1) 本件契約が錯誤により無効となるためには、右税金の免除の点が原告の本件土地購入申込の決定的要因であることまでは必要としないが、表意者である原告においてその錯誤がなければ本件土地の譲渡を受けなかったと認められ、かつ、それが一般取引通念上合理的なものであることが必要である。蓋し、もし取引通念上錯誤がなければ契約しないことが合理的であることを要しないとすれば、その事情が相手方に表示されていたとしても、相手方はその事情を合理的に判断しても契約の無効原因を予測できず、その結果、取引の安全が著しく害されるからである。

(2) そこで、前記認定の税に関する表示事項について、原告に錯誤がなく正確に事実認識をしていた場合には、本件契約の締結に至らなかったと予測することが相当か否かを検討する。

ア 一般的考察

本件契約の目的物は不動産、特に工業用地であり、かつ転売を目的としたものではなく、自己の事業活動用に購入したものである(原告本人、弁論の全趣旨。)から、その選択に当たっては、通常工場としての立地条件や事業活動を行うに当たっての社会経済的諸条件等土地の価格以外の諸要因が重要な要素をなすものであり、本件でも、原告は契約に当たって、交通の便、周囲の環境、自己の事業活動により生ずる公害等の規制の有無などを考慮して決定している。

他方、契約に当たっては、工場進出に要する費用についても重大な関心を持つことは当然のことであって、その費用には、土地の売買代金や建設費だけでなく、税負担等も含まれる。そして通常は、税負担は、当該取引の性質、代金額等によって必然的に定まるものであるから、意思表示の内容としては特に重視されることは少ないが、税の優遇措置を特に契約内容として表示した場合は、非課税金額や税の免除が特に重視され、これが契約の要素となる場合もありうる。

イ 予期に反して課税された金額

予期に反して課税された額が極めて高額である場合は、取引通念上、錯誤がなければ契約しなかったものと認める余地が十分にある(最一小判平成元年九月一四日判例時報一三三六号九三頁参照。)ので検討する。

本件においては、前記のとおり、税の免除・非課税が課税額の全額ではなく一部についてである点については、パンフレット等にはその旨の表示がなく、また、その点について被告の職員の口頭説明もなされていない以上、税の免除・非課税は課税金額の全額についてなされるものと解されるのが通常一般であり、従って、税の免除・非課税の対象とならない部分についての課税額は全く予期に反した課税というべきであり、この予期に反した課税というべき金額は、四年間で前記約八一万円が推計される。

これは、個人事業者としては軽視できる金額ではないが、本件契約の代金総額が四三五八万円余りであること、原告は、本件工場移転に関し、前述のとおり、本件土地に関し二八一六万円余り、本件工場の建築費として二五〇〇万円、材料購入費として一八〇万円余りの合計五四九六万円余りを既に支払っていること、原告が事業活動を開始すれば、年間約四〇〇〇万円の生産額を上げる計画であったことなどから考えて、本件契約において、右八一万円(四年間で)は、取引通念上、錯誤がなければ原告が本件契約をしないことが通常予想される程度に高額とは認められない。

ウ 他の候補地との比較

本件契約の発端は、原告が工場を拡張する用地を取得するために、被告の他、兵庫、滋賀、岐阜、三重等の各県から工場用地についてのパンフレットを送ってもらって検討し、更に、本件土地及び滋賀、岐阜の候補地を実際に見分した上で本件土地を選択購入したものである。

そこで、本件では右錯誤がなければ、取引通念上、本件土地の選択購入がなされないことが通常予想されるか否かを検討する。

原告は、前述のとおり、パンフレット等に記載された税についての優遇措置である、買替資産の特例、減価償却の特例、不動産取得税の非課税、事業税の3年間免除、固定資産税の3年間免除、特別土地保有税の非課税の各項目のうち、不動産取得税と固定資産税の一部(推計約八一万円。課税額の約二八パーセント)が免除されないこと及び免除される額についても一旦納付し、操業開始等の条件を満たしてから免除申告手続をとる必要のあることについて誤解していたものであるが、他方、原告が工場用地を探すに当たり検討した滋賀、岐阜の候補地においては、税についての優遇措置がなかったのであるから、仮に、原告が右の誤解した点について正しく事実認識をしていたとしても、本件土地の税の優遇措置は他の候補地には見られない利点であることは否定できない。また、代金額等他の諸条件と総合して、税の免除を受けられない金額や一旦納付しなければならない課税額が土地の選択において重要な判断要因となる場合もあるが、本件では、契約の前後を通じて原告が課税減免額の試算をしていないことなどから見て、税の減免についての原告らの期待は一般的抽象的なものであり、右の免除を受けられない金額等が候補地の選択にあたり実際に重要な判断要因となったとは認められない。

従って、原告においては、税についての優遇措置の存在が他の候補地には見られない特段の利点であったとしても、本件税の免除についての錯誤がなければ、取引通念上、本件土地の選択がなかったことが当然予想されるとはいえない。

エ その他特段の事情の有無

なお、金額そのものが特に高額とは言えない場合でも、通常の取引に比べて税金面を特に重視すべき特段の事情がある場合や予期に反した課税により資金計画に重大な支障が生じて事業の継続が困難となるような場合は、取引通念上、錯誤がなければ契約しないことが通常予想されるが、本件では、右のような特段の事情は認められない。更に、原告は、税の減免についての錯誤が、原告と被告の信頼関係に重大な影響を与えた点を強調するが、この点については、次項で検討する。

(三) 以上から、本件における原告の税の減免措置についての錯誤は、本件契約の要素の錯誤には当たらない。

二  被告の誠実性についての錯誤無効について

1  原告は、本件契約の勧誘段階においては、被告が誠実な自治体で進出企業に対して友好的であったので被告を信頼して本件契約したが、課税に関する交渉を通じ、被告は、パンフレット等の誤った記載や出先機関の職員の誤った説明につき早期に謝罪して懇切に説明すべきであるのに、かえって原告の法の不知に責任があるかのような高圧的態度で法律や条例のコピーを送りつけて事足れりとしたため、被告は原告に対して不誠実で敵対的であってもはや信頼関係の維持ができないことが明らかになった。他方、本件契約の実態は、単純な土地の売買というよりは、被告の工業団地への企業誘致と原告の企業進出が合致した契約であり、公共団体である被告と事業者である原告の契約関係は、土地所有権の移転と代金授受で結了するものではなく、その後においても、契約条項上原告が被告の規制監督を受けるという濃密な権利義務関係が存続するものであるから、本件契約のような継続的契約関係においては、右のような被告の誠実性についての錯誤も契約の要素の錯誤となると主張するので、その当否について検討する。

2  ところで、原告の主張としては、被告の誠実性について、契約後の交渉過程の誠実性だけでなく、被告の職員が有利な条件を誇大に説明したなど契約前の交渉過程の誠実性についても問題とする趣旨と考えられるが、契約前の交渉過程において被告の不誠実により原告に誤解があったとしても、それは主として交渉過程における税の減免に関する錯誤の問題に帰着する(被告の属性としての誠実性の問題は残るが)ものであり、この点については既に検討したところであるから、以下、主として契約後の交渉過程における被告の誠実性(被告の属性としての誠実性の問題であるから契約前の交渉過程における被告の誠実性の程度内容も考慮される)について、原告が契約時に誤解していたか否か、本件契約が錯誤無効となるか否かを検討する。

3  確かに、契約は相互の信頼関係を前提とするものであり、特に継続的な契約関係においては、当事者間の信頼関係の維持継続はより重要なものとなる。

更に、本件契約に際しては、原告は、被告が公共団体であることからその信用を重視し誠実な対応履行を期待して被告の指示どおりの代金納付等をしたこと、また、被告の職員が他の団体に比べて特に熱心、友好的であると感じたことが本件契約締結の動機の一つとなったことが認められる。

4  しかし、契約の錯誤無効となるのは、意思表示の時点で意思決定に当たり評価すべき具体的事実について錯誤があり、その錯誤が意思決定を左右すると通常考えられる場合であるところ、契約関係において当事者の誠実性、即ち、契約上の義務の誠実な履行がなされるか否かは、契約の履行過程において事後的に明らかになることであり、契約時点においては、当事者となるものの地位、性格、資産、経歴、過去の行動等、取引通念上誠実な履行の確保が期待できることを基礎づける具体的事実によって判断せざるをえない。

確かに、契約時点においては、相手方が契約を誠実に履行するものと信じ、かつ、それが契約当事者間において当然の前提とされていることは当然であるが、それが契約の内容となるものではなく、契約の履行の問題であるから、仮に事後的にみて契約の誠実な履行がなされなかったとしても、契約上の義務の不履行として問責する(契約を解除しうる場合もありうる)ことは格別、契約時点でそれを予期していなかったことを理由として錯誤による契約の無効を主張することはできない。

5  本件においては、契約時点において、税の優遇措置に関する誤解以外に、取引通念上被告の誠実な履行の確保が期待できることを基礎づける具体的事実については、原告に特段の誤解があったとは認められず、むしろ、原告の右錯誤の主張は、本件契約に関し原告の税の免除に関する誤解の処理過程における被告の不誠実な態度を専ら問責するにすぎないので、それを理由とする錯誤無効の主張は失当といわざるをえない。

三  許欺による取消について

1  原告は、被告が本件契約に先立ち、非課税、免税が全面的でも無条件でもないことや被告及び三次市が税を一旦は徴収する方針であることを知りながら、右の点を秘し、原告に税の減免を重要なセールスポイントとして強調して、原告をして無条件で何の手続も要せずに非課税、免税となる旨誤信させ、もって、本件契約を締結させたことは詐欺に当たると主張し、平成二年一月二六日の本件口頭弁論期日において本件契約を取消す旨の意思表示をしたので、その当否について検討する。

2  詐欺と言えるためには、被告において税の減免措置に関して原告を誤信させる欺罔の意思があり、原告を誤解させるような積極的言動をし、若くは原告の誤解を知ってそれを放置し、かつその行動が社会の一般取引観念に照らして違法視される程度のものであることを要する。

そこで、まず、税の減免が全面的ではないこと、及び税の減免が一旦納税して操業開始等の条件を満たしてから免除申告手続をとる必要があることにつき、被告の職員において、原告を誤信させる意図があったといえるか否かを検討する。

(一) 本件契約の交渉に当たった被告の職員有馬は被告大阪事務所の次長であり企業誘致の責任者であって多数の企業訪問の経験があること、藤阪は企業誘致の担当部局である企業立地課の課長補佐であり、本件パンフレット等の文案について決裁していること、交渉に際し原告らは有馬や藤阪が税金に非常に詳しいと感じたこと、有馬の被告大阪事務所次長在職中の企業誘致成約件数がほとんどないことなどからみれば、右有馬らにおいて企業誘致を成功させることに熱心の余り、税の減免についてパンフレット等の記載が不正確であることを知りつつ、原告にその旨告げなかったと考える余地もある。

(二) しかし、パンフレット等の税の減免措置に関する表現は、他県のパンフレットと比較してもパンフレット類の記載としては慣用的なものであり、また、前述のとおり、交渉過程での右有馬らの説明内容もパンフレット等の記載を超えるものではなく、その際、原告らからも税の減免について特に質問はなかったのであるから、被告が積極的に税の免除が全額であるとか、その免除手続を要しないという虚言を述べたものとはいえない。

また、有馬らは企業誘致につき多数の企業訪問をした経験があるが、中小企業が被告の工業団地へ目を向けるのは極く稀であり、また、通常は相手方には会計士、税理士等税の専門家が付いていること、また、税の減免の範囲や手続等の詳細についての説明は相当交渉が進んでからその担当者によりなされるのが通常であると考えられるところ、前記のように大阪事務所での成約件数がほとんどないこと等からみて、税について詳細に説明する機会は必ずしも多くはなかったと認められる。

更に実質的にみても、所定の免除申告手続を経れば課税額の約七二パーセントは免除されうること等も併せて考えると、被告の職員において、パンフレット等の記載が一部正確でないこと及び原告らが税の減免措置について誤解したことにつき、悪意でなく気付かなかった可能性も十分にあるといえる。その他、被告の欺罔の意思の存在を認めるに足りる証拠はない。

(三) 従って、その余の点について判断するまでもなく、原告の詐欺による本件契約取消の主張は理由がない。

四  以上の次第で、錯誤無効、詐欺取消により本件契約の効力が存しないことを前提とする原告の不当利得及び不法行為の主張はいずれも理由がないから、原告の請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林一好 裁判官 田中澄夫 齋木稔久)

〈以下省略〉

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